中居正広の生い立ち!幼少期は女の子として育てられた反動で暴走族に?!

第一線として長らく活躍していた中居正広さんには

どんな過去があったのでしょうか。

幼少期からの生い立ちを探ってみました。

目次

中居正広の生い立ち

中居正広さんは神奈川県藤沢市で生まれました。

男兄弟3人の末っ子として生まれ、幼少期は経済的に厳しい環境で過ごしたようです。

今回は中居正広さんの生い立ちを

・幼少期時代

・小学生時代

・暴走族時代

・ジャニーズ時代

に分けて紹介していきます。

中居正広の幼少期

中居正広さんは3人兄弟の末っ子として生まれました。

女の子が欲しいと強い希望の中で中居さんが生まれ、そのため幼少期は

フリフリの格好で女の子として育てられたと言います。

また幼少期の生活ぶりは、

藤沢市の4畳と3畳半の狭い住居で5人家族で生活し、経済的に相当厳しかったようです。

食事は工夫を凝らしてしのいでいたようで、

おかずがない日は”白ご飯”に”水”をかける、「水ご飯」や「バターご飯」を食べることが多く、

時々の外食でも、安価なものしか頼めなかったと語っています。

今の成功者の中居さんからは想像できないほど苦労されたんですね

中居正広の小学校時代

女の子として育てられていた中居さんは、

小学校にあがったら”男になる“と決意し、野球に明け暮れた日々をおくります。

将来の夢は”プロ野球選手“だったそうで、

毎朝キャッチング練習と素振りをこなしてから登校し、放課後は少年野球チームで練習に参加。

夜はラジオでプロ野球を聞いたあと素振りの練習など、どっぷり野球にはまっていたようです。

しかし、そんな中居さんに衝撃な出来事が2つ起こります。

・両親の離婚

・肘に水が溜まって野球を断念

両親が離婚し、父親が子供3人を引き取ることになり、

そして小学校6年生の時には肘に水が溜まって、中居さんの唯一の“野球”も続けられなくなりました。

さすがにこの時は衝撃を受けたでしょうね

中居正広の暴走族時代

中居さんがの心の拠り所でもあった”野球”がなくなったことにより、

荒れてしまったことから中学2年生の頃には暴走族”ピエロ”に入った中居さん。

しかしその反面女の子にモテたい」という気持ちもあり、ジャニーズに応募するとなんと”合格

土曜日は暴走族として活動し、日曜日はジャニーズのダンスのレッスンに明け暮れるなど

面白い二重生活をおくっていたようです。

面白い経歴の持ち主ですね!

ちなみに同じSMAP仲間の香取慎吾さんが

当時中居さんをみて「僕が初めてみた本物のヤンキー」と語っていたようです。

中居正広のジャニーズ時代

中居さん(真ん中

中居さんは1987年にジャニーズ事務所に入所し、その1年後にはSMAPメンバーとしてデビュー。

グループのリーダーをこなしつつ、バラエティ番組のMCもこなすなどマルチに活躍していました。

2016年にSMAPは解散してしまいましたが、

日本のエンターテインメイト全体に大きな影響を与え、まさにジャニーズの黄金期を引っ張った方でした。

まとめ

中居正広さんの幼少期をまとめてみました。

小さい頃は今では想像できないほどお金に苦労した人生を歩んでいたようです。

そこで挫折せず成功させたことはすごいですよね。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

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