3度の離婚を経験し2人の子どもを育てながら、37歳でグラドルデビューをした茜結さん。
芸能活動をしながら一般企業の広報や結婚相談所のカウンセラーとして働いており、
“奇跡の45歳”といわれています。今回はそんな茜結さんの経歴について調べてみました!
茜結の経歴
舞台役者から芸能活動をスタートした茜結衣さん。
・声優志望から舞台役者時代
・音楽、モデル時代
・吉本時代
・クラビア時代
の3つの時代に切り分けて調査してみました。
それではそれぞれ詳しくみていきましょう!
当初声優志望だった茜結が舞台女優へ
18歳から声優を目指していた茜結さん。
小さい頃から自分の声をカセットテープに録音して遊んでいたそうです
幼い頃から芸能界に興味がありアニメ作品の声優に憧れ、
卒業後は声優プロダクションへ入る試験を受ける必要がありましたが、
当時は東京に声優プロダクションが多く、
“東京に行く気はなかった“そうで、たまたま友人に誘われた舞台を観て感動し、
声優志望から舞台役者に興味を持ち始めます。
友人と観た舞台はかっぱのドリームブラザーズという舞台で
その舞台の客演としてでていた劇団が、のちの茜結さんが所属する「リリパット・アーミー」さんでした。
舞台女優時代
1年間研修生として下積みし、オーディションの合格を経て舞台女優としてのキャリアがスタート。
順調に舞台女優として経験を積んでいきますが、その頃はまだ年若く、色々なことに悩んでいたようです。
そんな時、舞台の幕間でかかるジャズ音楽に興味をもち、漠然と音楽活動に関心をもったのだとか。
そして小さい頃から歌ことが好きだったこともあり、舞台女優から音楽活動へとシフトしていきます。
過去茜結さんが出演した舞台一覧
・ポンちゃんがボケたら友近も。それにつっこむ小藪さん
・伊藤えん魔プロデュース「悪いヒトたち。」
・桂吉朝プロデュース「いがんだ寄席」
・中島らもプロデュース「つきの匂いのするベンチ」
・劇団maxi(オフィスキィワード)旗揚げ公演 もしもしダイヤル
・新世界歌謡道(作、演出、吉村正人)
茜結の音楽、モデル時代
音楽活動をしていくうちに、バックコーラスなどの小さい仕事も担当するようになってきた頃、
次は書類選考が通ったモデル事務所に所属することになります。
モデル活動では、
ラ・フィーネのイメージガールや145cmという小柄な体型生かし、Sサイズモデルとして活躍します。
そのほかにも関西ウォーカーやSAVVY、BITTERの雑誌でモデルとして起用されていました。
残念ながら、モデル時代の写真をみつけることができませんでした。
茜結の吉本時代
モデルとして活動しているうちに、素人としてテレビ出演をする機会があった茜結さん。
臆することなく、テレビの世界って面白い!と感じたそうです
もっと大きな事務所に行けば、テレビの仕事をもっともらえるかもしれないと
行動にうつした先が、あの誰でも知っている”吉本“でした。
吉本に所属するために、養成学校へ通い女性タレントコースへ通い始めた茜結さん。
入学の数日前に第二子を出産したばかりで、
吉本には腹筋や背筋の授業もあり、産後の体には大変厳しく
体調も良くない中、大変だったとコメントを残していました。
20代に2度の離婚を経験し、私生活も落ち着かない中でも養成学校を卒業し、事務所に所属がきまったものの
自分の思う道ではなく、模索して行く中で方向性をかえるために総合芸能事務所へ所属し、
モデルやCM出演、役者、MCなど様々な仕事を経験。
芸能活動一本では食べて行くことが苦しく、派遣やアルバイトも掛け持ちしながら芸能活動を続けていました。
茜結の遅咲きグラビアアイドル時代
プライベートではバツ3を経験し、
それでも向上心を持ち続けた茜結さんは、「このまま大阪にいてもこれ以上の成長はない」と状況を決意します。
2017年にはミスFLASHのオーディションに参加したことをきっかけに
『BITTER』のグラビアオーディションで優勝。
さらには伝説のグラビア雑誌「URECCO」復刊号の表紙を飾りました。
まとめ
さまざまな仕事を経験し、最終的には”グラビアアイドル”として頭角をあらわした茜結さん。
もしかしたら次のステップアップもあるかもしれませんね。
“奇跡の45歳”の今後が楽しみです。