由薫(ゆうか)の生い立ち|幼少期を海外で過ごしカルチャーショックを受けていた!

2000年、沖縄生まれのシンガーソングライター由薫さん。

デビュー曲は映画の主題歌に抜擢されるなど、その実力に注目が集まっています。

今回は由薫さんの生い立ちについて調査してみました!

目次

由薫の生い立ち

由薫さんは2000年に沖縄県で生まれました。

・由薫の幼少期時代

・由薫小学生時代

・中学、高校時代

この3つに分けて調査したのでに1つずつつお話ししたいと思います。

由薫幼少期時代の海外移住生活

洋楽好きの父親の影響で、小さい頃から生活の中に音楽がありました。

沖縄県出身ですが2歳の頃に研究職の父親の影響でアメリカへ移住。

その後石川県へ一度帰国し過ごしますが、再びスイスへ移住し数年間過ごしました。

0歳沖縄で出生
2歳〜4歳アメリカに移住
5歳石川県金沢市に一時帰国
6歳〜9歳スイスで過ごす
10歳〜現在日本

スイスではインターナショナルスクールに在籍し、年齢や国籍が違う友達が沢山いて、個性的でのびのびとした環境で過ごせていたそうです。

同じ学校にとてもフランクな感じで地元のお嬢様がいたり、多種多様な物事の価値観にもふれていたようです。

Qetic
Z世代シンガーソングライター・由薫の軌跡と魅力|人に寄り添う音楽ができるまで | Qetic 2000年生まれ、Z世代のシンガーソングライター・由薫。彼女のパーソナルな部分に焦点を当てながら、シンガーソングライター・由薫が辿ってきた軌跡、そして彼女の魅力につ...

由薫(ゆうか)が小学生時代に音楽に目覚めたきっかけ

物心がついた時にはすでにミュージカルが好きで、

スイスにの学校の在学時に『サウンド・オブ・ミュージック』の企画があり、

初めて”何かをやりたいと思った“と話していました。

『サウンド・オブ・ミュージック』の子どもは7人の出演と決まっていましたが、由薫さんが志願すると

快く子どもの数を増やしてもらい、出演することができたそうです。

6歳の時だったため、台本を渡しても分からないかもいれないということで、

歌だけ覚えて、他は自由にアドリブで演じたそうです。

そんな由薫さんが初めて買った音楽作品は、

ミュージカル『ウィキッド』のサウンドトラックでした。

ミュージカルの世界に憧れていたた由薫さんですが、映画も好きだったようで

子どもの頃には自宅にあったタブレットを使い、自ら監督として指揮し、妹と愛犬を出演させた

”白雪姫オマージュ”の映像も撮影していたそうです。

ただ、スイスから戻ってきた時には、カルチャーショックにも悩まされたという由薫さん。

俯瞰で物事を考えるようになったとインタビューで答えていました。

由薫さんは海外移住生活で

人との関わり方は”自分がどういうふうに振る舞えばもっと話しやすくなるか“と考えるようになり、

物事をみるときは”例えば1枚の絵でも様々な捉え方ができる“ようになったそうです。

自身の曲を聴いている人にも、聴き手によって多層的に感じて欲しいと思いを込めているそうです。

クラスのみんなからしたら私は宇宙人だった」と本人が話すように、

今まで普通だと思っていたことが理解されないことも多々あり、

そんな環境を一度ゼロにしたいと思った由薫さんは中学受験を決意。

中高一貫校に入学し、新たな人間関係を構築して抱いていたカルチャーショックから抜け出していく道を選びました。

由薫(ゆうか)中学、高校時代の音楽のかかわり

カルチャーショックから抜け出し、中高一貫校に進んだ由薫さん。

15歳の頃はテイラー・スウィフトをはじめとするシンガーソングライターがもともと好きで、

父親と訪れた楽器店で中古のアコースティックギターと出会い、憧れていたのもあってギターに挑戦。

何事も続かない性格だった由薫さんだったそうですが、ギターだけは続けられ、自宅で学校の勉強をしている時も

ギターを抱えるほどの、”ギター依存症“だったそうです。

ギターをきっかけにカバーユニットバンドでの活動を始め、

17歳頃にはオリジナル楽曲”雨少女”の制作を開始していたそうです。

人前にでるのは緊張していたそうですが、文化祭などで既に大勢の前で歌を披露していたそうです。

映画や本好きがあいまって、その頃に見つけた”映画の主題歌を作る“というオーディションで

審査員特別賞を受賞し、歌手としての活動を始めるきっかけとなりました。

この2020年のオーディションでアミューズ芸能事務所に所属し、シンガーソングライターとしての活動が始り現在に至ります。

審査員特別賞を受賞した当時の心境を、由薫さんはこんなコメントを残しています。

1番心が動かされたのはオーディションの第1次審査を通過したときでした。

自分の歌やギターのレベルでは最後まで残らないだろうと思っていたんです。なので、もし1次だけでも、

通過したら自分はどう思うか、もしくは落ちたときにどう感じるのかを知るために、

ある意味オーディションを使わせてもらったというか。

そうしたらプロの審査員の方たちが私の歌を聴いて、1次審査を通過させてあげようと思ってくださったことがものすごくうれしくて。

自分が今これだけの喜びを感じている、ということはやっぱり音楽がやりたかったんだ、自分の歌を誰かに届けたかったんだ、ということにそこで気付けたんですよね。

引用 https://natalie.mu/music/pp/yu-ka/page/2

審査員も光る原石をみつけた!と絶対思ったでしょうね。

幼少期の海外生活と、小学校のミュージカル出演、そしてカルチャーショックから抜け出すための中・高時代が

今の彼女のアイデンティティが形成したのだと思います。

まとめ

幼少期は海外に住み、日本語や英語も喋れるバイリンガルの由薫さん。

海外に住んでいて、日本と海外のギャップを知っているバックグラウンドもあって

英語の歌詞にも深みがあるのかもしれませんね。

注目されている新人歌手に今後も目が話せません。応援しています!

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